私の子どもは、「福祉」という言葉が嫌いだと言います。
胡散臭くて偽善的、そんなイメージのようです。
そんなふうに感じる年頃なのか、いやはやひねくれ者なのか。
でも同じように思っている人も少なくないのかもしれませんね。
以前、高齢者の施設で働いたときに、「福祉の世話にはなりたくない!」と言っている方がいたのを思い出します。
「福祉」って、本当はどういうものなんでしょうか。
実は私も、曖昧にしか把握していませんでしたが、結構奥の深いもののようです。
「福祉」という言葉の本来の意味は“幸福”とか“幸せ”ということだそうです。
辞書を引くと、本当にそう書いてあります。
では、人の幸せってなんだろう?
アブラハム・マズローはこう言っているそうです。
「人間の真の幸せを考えた時に、究極的には自己実現である」
誰のものでもない、誰とも比べられない、自分の価値観が達成される感じでしょうか。
また、社会福祉学者の一番ケ瀬康子は、「福祉文化」という言葉をよく用いています。
“文化(culture)”のラテン語の語源は、“耕す”という意味だそうです。
したがって福祉文化とは、自己実現の為に環境に働きかけていくこと、自己実現のための土壌を整えていくありさま、といったところでしょうか。
100人いれば100個の固有の土壌があって、育つ作物も皆違います。
でも、隣の土地に人手が足りなければ、耕すのを手伝うのは自然なことですよね。
こうとらえれば、福祉文化はすべての人のためのものです。
僕という人間
僕は僕に「障害」があると
思っていなかった
僕は僕が生きにくい世の中に
障害があると思っていた
でも、人は僕のことを
「障害」のある人と言う
僕は僕自身だけれど
「障害」ではない
一番ケ瀬康子は著書の中でこの詩を紹介し、こう述べています。
「1人の人間が幸福を求め自己実現をめざしても、それが社会によって妨げられているところに問題がある」
こぶし瑞江も福祉事業所です。
皆さんの自己実現の土壌を、一緒に耕していく場所です。
ぜひぜひ一緒に、耕してはみませんか?
参考文献:一番ケ瀬康子編 『福祉文化論』、1997、有斐閣ブックス
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