我が家にテレビがやってくる(平成バージョン)

「すべて日本国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(日本国憲法25条第一項)・・・

20年以上前の話になるのだが、当時僕の部屋にはテレビがなかった。別にテレビを買うお金がなかったというより、部屋が単純に狭かったのと、音楽やラジオを流しながら本を読むほうが寛げたからなのだ。

だが、親しい友人に対しては別として、「うちテレビないんだよね・・・」と軽く口にすることがなんとなくはばかられて、時折テレビがまるであるような感じで相手に会話を合わせていた。確かワールドカップの日韓大会の日本VSベルギー戦の翌日だったと思う。職場でサッカーの話になったときだ「観た昨日の試合?」、ときかれて、つい「もちろん!聴いてましたよ」とこたえてしまい、相手の反応が「???聴いてた」ってどういうことみたいになってしまったのだ。

ぼくはラジオで試合を聴いていたので、試合の内容自体はしっかりわかっていたのだが、映像というかゴールシーンは欠片もみていなかったのだから、やっぱり、サッカー中継って画がないと話を合わせるのは厳しいかもしれないなと感じたのは確かである。

しかし、その後も「まあ、テレビがなくても別になんとかなってるからな・・・」という理由でテレビを買う機会がなかなか訪れない。

人事異動で営業の現場に出ることになったときのことだ。ある先輩と同行することになった。昼食のとき、たまたま、ドラマの話になり、先輩が山崎豊子さん原作の「白い巨塔」が面白いと力説し始めた。テレビのない僕はもちろん観ていないのだが、原作を読んでいたので何とか話を合わせることはできたのだ。が、しかし

「やっぱりさ、役者がいいだろう。財前役だよ。財前・・・」

「あー、そうですね、田宮二郎でしょう。迫真の演技ですよね」

「田宮二郎・・・唐沢だよ、唐沢寿明。おまえいつの時代の話をしてるんだよ?」

「里見役は誰か知ってるよな」

「・・・山本・・」

「ばかやろう・・・ちげーよ。江口洋介だろ、いったいおまえいつの時代の話してんだよ、おまえ、絶対、観てないよな。なんでつまんないうそつくんだよ」

僕は観念して白状することにした。

「実はテレビ持ってないんです・・・」

先輩はしばらく沈黙したあと、「わかった。きょうの午後の仕事は決まった。おまえのテレビを買いに行くぞ。もちろん、自分の給料で買えよな」

先輩はポツリといった。「おまえさ、社会で習わなかった?健康で文化的な最低限の生活ってさ・・・」

まあ、そろそろ年貢の納めときですかね・・・ひとりごちながら、野球中継を観ながらビールを飲むのも悪くないなと思うと、先輩を追う僕の足取りは少しだけ軽くなった気がした。

 

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